高原義弘さん

1.主な活動内容は何ですか?

私は1991年、市役所から (財)北九州国際交流協会に派遣されて以降、四半世紀にわたって市の国際畑を歩きました。最後は再び同協会に戻り、専務理事を務めました。北九州国際交流協会では、外国人も日本人もみんなが笑顔で安心して暮らせるように、外国人への情報提供や相談事業、日本語学習の支援、通訳派遣、異文化理解のための講師派遣などに取り組みました。また、2007年4月から1年間、アジア女性交流・研究フォーラムに所属して北九州ESD協議会の初代事務局長を務めました。北九州国際交流協会を退職した後、現在は北九州市選挙管理委員会委員を務めながら、「子どもひまわり学習塾」学習指導員(中学・英語)、学校法人北九州YMCA学園評議員、学研ボランティアの会理事、外国人日本語おしゃべり発表会実行委員会委員、日本語学習支援ボランティアなど、様々なことに携わっています。

2.活動を始めたきっかけは何ですか?

祖父が外国航路の貨物船の船長であったことがきっかけです。祖父からさまざまな話を聞きました。その話の中には、もちろん楽しい話もありましたが、南北経済格差や人種差別など悲惨な社会の現状の話を聞くこともありました。そのため、幼いころから海外、語学に興味をもっていました。英語を使って人の役に立つ仕事をしたかったというのもあります。

3.活動の魅力は何ですか?

誰でも自分の得意なことを活かして世の中の役に立つことができ、生活できれば最高だと思います。小さなことでもいいから自分の好きなこと、得意なことを活かして世の中の役に立てるって、幸せですよね。

4.今後の展望は何ですか?

国際交流協会時代は、外国人市民自身が後からやってくる外国人市民のサポートができるように人材育成と支援に取組みました。外国人もこの社会の担い手として活躍できることがとても大切です。一市民となった後も、そのことは重大な関心を持っていますし、自分にできる範囲で活動していきたいと考えています。また、若い人たちに国際交流の楽しさを伝えることと、外国人市民への日本語学習・文化理解の支援は続けて行きたいと思っています。
北九州市のパートナーとして開拓したベトナムやロシアでのビジネス交流などが進み成果が出ていることや、市役所で国際人材として育成した人たちが各分野で活躍していることですね。また外国人市民から、北九州市は住みやすいといわれるとうれしく思います。

5.ご自身の10~20代の頃について教えてください!

祖父の影響で幼いころから海外に興味をもち、英語は得意でした。東京の大学に進学し、自動車部品メーカー(輸出部)に就職しました。英語を使う仕事は楽しかったのですが、何のためにしているのかを見失ってしまって、企業の利益のためよりも、もっと人の役に立ちたいと思い始めました。そして、生まれ育った北九州市に戻り、消防士として勤務した経験もあります。やりがいをとても感じる仕事でしたが、ここでもやはり、この仕事が自分の能力に見合っていないと考え始め、最終的には北九州市に行政職として入職しました。回り道でしたが、これが自分に一番向いている仕事でした。

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