原賀いずみさん

1.主な活動内容は何ですか?

私は今、環境教育をする北九州インタープリテーション研究会を主催しています。
北九州インタープリテーション研究会とは 1998 年 5 月、到津遊園の森と動物たちを守るために、「到津遊園を到津動物の森公園として存続させる会」として立ち上がりました。そして存続署名活動を行なったことが始まりです。
その後、ジェンダーの視点から動物園作りを研究し提言を行った「元気発信型動物園作りネットワーク」、到津の森で育まれた児童文化と環境教育の歴史を掘り起こした「到津の森の語り部インタープリテーション研究会」、そして 2002 年からは北九州の身近な自然の素晴らしさを伝える「北九州インタープリテーション研究会」へと活動の幅が広がっていきました。身近な自然の素晴らしさを参加型で学んでもらうために、布絵シアターワークショップを考案し北九州市内に留まらず、中国や韓国でも交流を行っています。
また、2005年に行橋の浜辺の保全から始まり、2008 年から福岡県と共同事業で京築地域を繋げる豊の国海幸山幸ネットでは、事務局長として活動しています。この活動では、毎月の海の掃除、京築の川や海の生き物を学ぶ「生き物探検隊」などを毎年実施しています。
また、福岡県と共同事業で京築地域の文化を掘り起こし、京築を繋げる「京築応援団の運営」という事業を福岡県から任され、京築サルタヒコ養成塾を企画運営し、京築の文化を発信するために「京築めぐり」のツアーを毎年企画しています。

2.活動を始めたきっかけは何ですか?

当時、私の家の近隣には、子供も大人も集う公園がありませんでした。 子どもも大人も集ってコミュニティーが広がる公園があればいいなと感じていました。 また、児童館はあったのですが、遠く、低学年の子どもたちが通うには、難しい環境でした。
せめて皆が集う公園があれば私自身働くことが できると思い、子供達のために、そして、自分も含めて働くお母さんのためにもという思いから、児童公園作りの運動を始めました。
その後 7 年の月日を経て、『葛原みどり山どんぐり公園』が、市民参加の話し合いの末に完成しました。
その3日後、私の父が園長をしていた到津遊園が閉園する知らせを聞きました。そして父と共に 3 万 3 千の署名を集めました。 動物園の存続が決まった後、「元気発信型動物園づくりネットワーク」としてジェンダーの 視点から動物園づくりを研究し提言を行いました。
この活動は2002 年から「北九州インタープリテーション研究会」へと名前を変え、北九州をフィールド にして活動を始めました。

3.活動の魅力は何ですか?

私は、北九州市内の特別支援学校を結婚を機に退職後、専業主婦として、子育て中心の環境にいました。しかし、子供達が健やかに育ちあう場をつくりたいと思う活動から、まちづくりや市民参画に目覚め、思いがけないところで人の輪が広がりました。まさかこんなにたくさんの人と出会えるなんて思っていませんでした。 市民活動にはシンドイこともたくさんありますが、繋がった時の喜びや、出会いによってリフレッシュすることもできます。

4.原賀さんは様々な活動をしていますが、何を大切にして活動をしていますか?

「ふるさとづくり」です。子育ての頃は、子どもたちのふるさとを作る。そして、自分の心のふるさと・到津の森公園・行橋の海を守る、ということを大切にしてきました。ふるさとづくりとは、世界中の人、だれにとってもかけがえのないもの。アイデンティティを大切に、自分らしく生きる事だと思います。

5.今後の展望は何ですか?

私は活動しながら考えるので、今後の展望を今考えるのは難しいですね。 しかし、美術教師である私の活動には必ず ESD の E(education)の部分が入っています。私の考える education は最終的には art に辿り着きます。地域づくりをする中で、教えるだけでなく絵や文という形あるもので表現していきたいです。また、私がそこにいなくても伝わるような表現媒体、持続可能な地域づくりのためのデザインを作りたいです。

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